近藤慎太郎の最新単行本、『日本一まっとうながん検診の受け方、使い方』のお知らせ!

ここ数週間、ブログの更新が止まってしまいました...。

とはいえサボっていたわけではなく、以前、日経ビジネスオンラインの連載が単行本にまとまるというお知らせをいたしましたが、

その作業で忙殺されておりました...。

 

 

 

医療格差は人生格差 マンガで分かる賢いがん検診の受け方、使い方

医療格差は人生格差 マンガで分かる賢いがん検診の受け方、使い方

 

  

単行本化にあたり、様々な加筆修正がありました。

何回かにわたってお知らせしようと思うのですが、

一番大変だったのは表紙のイラストでした。

 

マンガのページの中の1コマであれば、多少線がヨレヨレしていたり、デッサンがくるっていたりしても、

「ま、なんとかなるだろう」と思うのですが(本当はダメでしょうけど)、

こと表紙のイラストとなれば、やっぱり渾身の一撃でなければなりません。

そして手に取ってもらえるようにキャッチーでポジティブな絵が必要です。

 

しかもなんと、印刷してから実物の雰囲気や発色ぐあいを確認してからベストのものを選ぶため、

数パターンの表紙を用意する必要があるのです!!!

 

「渾身の一撃を…!」と気合を入れていたので、正直に言うと、情熱が分散されるような戸惑いもありました。

担当編集者さんから最初は「3パターン描いてください」と言われたのですが、

「ムリです~」と泣きついて2パターンにしてもらいました(笑)。

その結果できたのが下記の2つです。

 

f:id:shintarok:20180710135241j:plain

表紙A

 

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表紙B

 

現時点で、どちらになるのかはウソ偽りなくまったく決まっていません。

あくまで印刷してから決まるのです。

でもどっちも捨てがたいなぁ…。

 

表紙Aは王道って感じだし、表紙Bは意外性で目を引きます。

そしてこれは素晴らしいタイトルと帯をつけてくれた担当編集者と、完璧な仕事をしてくれた装丁家さんのおかげです。

今回書籍化をするにあたって心から実感しましたが、1冊の本を作るのは本当に大変だし、

色々な技能を持ったプロが集まって、初めて成立するのです。

ズブの素人の私がその醍醐味の一端を垣間見せてもらえただけでも、本当に価値のある時間だったと思います…。

 

と、シミジミしたいところなんですが、大事なのはここからです。

この半年間、寸暇を惜しみ、プライベートを犠牲にしながらも書き上げた300ページです!

類書はまったくなく、今後も出るとは思えないスペシャルな1冊となりました。

アマゾンではすでに予約可能です。

定価が下がる可能性も高いのですが、予約をいただいている場合は自動的に下がりますので、

ご安心ください。

「えっ、そうなの!?」という驚きの事実が満載です!

ウラもオモテも全部解説いたしました!

是非お手に取ってみてください~!!!

 

医療格差は人生格差 マンガで分かる賢いがん検診の受け方、使い方

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(近藤慎太郎)

『対話する医療』 孫大輔 (書評・近藤慎太郎)

対話する医療 ―人間全体を診て癒すために

対話する医療 ―人間全体を診て癒すために

 

 

人間というのは、放っておくと何事も探究し続けるという特徴があるようです。

世界を調べつくして、海を調べつくして、宇宙も調べつくそうとする。

石炭を発明し、石油を発明し、原子力を発明する。

手紙を発明し、電話を発明し、インターネットを発明する。

お金を発明し、クレジットカードを発明し、仮想通貨を発明する…。

 

例をあげれば枚挙にいとまがありませんが、人間というのは一つの分野を進歩させなければ気が済まないのです。

医療も同様です。

原初の段階では祈祷なんかをしていたと思いますが、薬が発明され、手術が生まれ、腹腔鏡などの機器が発達し…最近ではロボット手術なんかも登場しました。

専門分化も進む一方です。同じ消化器科ではあっても、胃や大腸などの消化管専門であって肝臓は分からないとか、いやいや私はとにかく胃の治療の専門家であって、大腸はまったく診ていないんですよ…なんて言うケースも十分あり得ます。「専門バカ」なんて言葉もありますが、一人の人間が学べる知識や会得できる技術には限りがあるので、このような状況になってしまうことは、ある意味致し方ないことだとも言えます。

しかも、ある分野の「スペシャリスト」であるという事は、何かを成し遂げたという自己肯定感にもつながるし、よほどニッチな分野でない限り、自分の活躍する場所を見つけやすいという点でも有利に働きます。

 

ただし患者さんはあくまで一人の人間であり、一つの病気が色々な臓器に症状を起こすこともあるし、治療によって専門外の臓器に合併症が起きることもあります。こういったケースではどうすればいいでしょうか?

「私には分かりません」と言うわけにはいかない…というか別に言ってもいいのですが、その場合は、しかるべき専門家にコンサルトして共同で治療にあたる必要があります。

都会で、ある程度の規模と人員が揃った総合病院であれば、それも許されるでしょう。これは専門外は分からない、分かったふりはしないという真摯な態度の表れ(?)という面もあるし、医療ミスを起こさないようにリスクヘッジする、という面もあります(ことによると後者の方が大きいかもしれませんが)。

 

しかしこれは大きな総合病院だから成り立つことであって、むしろ幸福な例外です。地方に行けばおのずと病院の規模も小さくなり、各科が揃っていないという所だって実はいくらでもあるのです。そういった状況で、スペシャリストとしてあまりにも自分の専門性を振りかざせば、周囲と協調してうまく患者さんを診ていくことは難しくなってしまうでしょう。さらには、周囲には病院がなく、最前線の診療所で多様な症状を持った患者を、的確に診断、治療、そして必要があれば転院させなくてはいけないという立場の人もたくさんいます。

この場合は、スペシャリストのように狭く浅くではなく、広く浅く(もちろん、できれば深く)分野をカバーしているという人材、つまり「ジェネラリスト」の方が有用性が高くなることがあります。

 

医療の進歩、細分化とともに、数多くのスペシャリストが生まれるようになりました。その傾向自体は止めようもないと思いますが、医療全体を俯瞰することができる人材が極端に少なくなっています。それに対する反省や問題意識から、スペシャリストへのアンチテーゼとして、ジェネラリストの存在が脚光を浴びるようになってきているのです。

 

すみません、書評にたどり着きませんでした(笑)。次回に続きます。

 

(文・近藤慎太郎)

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」

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『職業としての小説家』 村上春樹 (書評・近藤慎太郎)

前回書評をした、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』では、「走ること」の意味について書かれていました。

 

 

本作では、小説家の本分である「執筆」について書かれています。

著者の場合、前回も解説したように,走ることと小説を書くことが分かちがたく結びついているので、本作は前作と対(つい)の関係にあると言えます。

  

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

  

本作では、著者が小説家になるに至った経緯(ここが面白い)や、小説家を目指す人へのアドバイスが書かれています。

ただし後者については、著者の理路や哲学を効率的に説明するために、便宜的にそういう体裁になっているというだけで、本気で心構えやテクニカルなことが書かれているわけではありません。もちろん、それでいいと思います。村上春樹のように特別な才能があって、孤高のポジションを占めている人に、小説の書き方を教えてもらったところで、おそらく私たち一般人には役に立たないでしょうから(笑)。

 

そして本作でも、走ることについて多少言及されています。やはり、分かちがたく結びついているからです。

 

(小説を書くためには)「継続的な作業を可能にするだけの持続力がどうしても必要になってきます。それでは持続力を身につけるためにはどうすればいいのか?それに対する僕の答えはただひとつ、とてもシンプルなものですー基礎体力を身につけること。逞しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の身体を味方につけること。」(p185)

 

「心はできるだけ強靭でなくてはならないし、長い期間にわたってその心の強靭さを維持するためには、その容れ物である体力を増強し、管理維持することが不可欠になります。」(p194)

 

「肉体をたゆまず前に進める努力をすることなく、意志だけを、あるいは魂だけを前向きに強固に保つことは、僕に言わせれば、現実的にほとんど不可能です。(中略) 傾向がどちらかひとつに偏れば、人は遅かれ早かれいつか必ず、逆の側からの報復(あるいは揺り戻し)を受けることになります。(中略) フィジカルな力とスピリチュアルな力は、いわば車の両輪なのです。」(p204)

 

こういった記述は前作も含めて繰り返しでてきており、哲学として徹底している、という印象です。

極端に言えば、これが事実でなくてもいいのでしょう。どんなことであれ信じている哲学があって、それを自分が間断のない努力によって実践している、実現していると言う「手ごたえ」が、何より大切なのだと思います。

 

また本作には、著者が作品を発表するたびに着実に読者を増やしてきた一方で、一部の批評家や編集者からは散々な評価を受けてきたことが繰り返し書かれています。

著者は自分自身のスタイルや、オリジナルであるということを非常に大切にしているので、理解されないことも多かったようです。

 

「多くの人々は自分に理解できないものを本能的に憎む。」(p97)

 

と述べています。

おそらくそういった経験が、著者を内省させつつも、いっそ理解しない人は相手にしないと割り切らせ、作品を純化させるための原動力となっていったのでしょう。ぶれることのない哲学や、逆風を受けながらも自分を信じて獲得してきたものへの誇りのようなものを、本作のいたるところで感じることが出来ます。

 

オリジナリティについては、幻冬舎見城徹社長の新刊に面白い記載があります。数ページ、村上春樹のことが言及されているのです。

  

読書という荒野 (NewsPicks Book)

読書という荒野 (NewsPicks Book)

 

 

 見城氏は、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を読んで鮮烈な印象を受け、ぜひ一緒に仕事をしたいと思って会ったそうです。そこで、「『風の歌を聴け』にはジョージ・ルーカス出世作アメリカン・グラフィティ』と通底するものがある。それを考えれば、小説の舞台として神戸を選んだのは正解だった。」という趣旨のことを、自分が作品を読み込んでいる、理解していることを示して村上春樹を「喜ばせよう」として言ったそうです。しかし、そのことを村上春樹は喜ばず、その後も仕事をする機会は失われたそうです。

どこまで正確なのかはさておき、非常に興味深いエピソードです。見城氏の指摘は、オリジナリティを大切にする著者にとってはまったくの見当違いだったのかもしれないし、多少なりとも痛いところを突かれたのかもしれません。ただ、その当時でもすでに相当有名であっただろう見城氏と仕事はしないと決めたのでしょう。そこに、たとえどんなに遠回りになろうとも、自分の納得の行くやり方をつらぬくと言う著者の強い意志を感じます。

 

村上春樹について思う時、私の場合、どうしても野球選手のイチローとイメージが重なってきます。

世界の最高峰で長年にわたって活躍し続けるためには、才能はもちろんのこと、それを間断なく、自分のやり方で、徹底的に磨き続ける事が必要なのでしょう。その厳然たる事実は、ため息まじりの羨望とともに見つめるしかないのですが、私たちも、私たちなりのスケールで、同じことをやれる可能性は残されている、とも思います。

 

(文・近藤慎太郎)

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」

 

『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹 (書評・近藤慎太郎)

 みなさんご存知、作家の村上春樹が、走ることについて語った本です。

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

私は著者の小説が大好きで、長編はもとより、短編も含めて95%以上読んでいます。少なくとも書籍になったものはほぼ網羅していると思います。

著者の小説は強いメッセージを含んでいるわけではない(少なくとも分かりやすく提示されてはいない)し、物語の求心力になっている謎が解けないまま終わることがある(というか、ほとんどそう)なので、読み終わったときに自分の中に何が残っているのかと言われると、ほとんど何も残っていません。ただし、読んでいる間はとても面白いし、幸せだと言ってもいいほどです。おそらく、あまり強いメッセージを押し付けられると疲れてしまうだろうし、著者独特のファンタジックな世界を純粋に楽しむという事ができなくなるでしょう。「何も残らないからいい」という、非常に稀有な印象をもたらしてくれる作家です(私だけかもしれませんが)。

 

さて、著者がひとかどの長距離ランナーで、フル・マラソントライアスロンをやっていることを知っている人も多いと思います。本書を読むと、それが単なる趣味の領域ではなく、日々の生活や作家としての生き方に直結するぐらい重要なポジションを占めていることが分かります。

たとえばフル・マラソンを走るために、1年かけて入念に準備をしています。ほぼ毎日ジョギングをし、距離を稼ぐ時期には月に350キロ走ったりしています。凄いですよね。

 

著者は、

「小説を書くことは、フル・マラソンを走るのに似ている。」(p25)

と書いています。

毎日コツコツと走ってフル・マラソンを走る。毎日コツコツと小説を書いて、長編小説を完成させる。マラソンはエクササイズであると同時にメタファーでもある、と。

おそらくお互いが有機的に絡みあって、作家・村上春樹の日々のリズムを生み出しているのでしょう。それは、ストイックに自分を律してやっていると言うよりも、自分をもっとも望ましい状態に保つために、1番有効な方法を知っている、という感じです。

 

何十年にもわたって文学の最前線で活躍し、世界的ベストセラー作家に登りつめた村上春樹の秘密の一端を垣間見ることができます。

 

(文・近藤慎太郎)

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」

 

『魔法のコンパス』 西野亮廣 (書評・近藤慎太郎)

漫才コンビキングコング西野亮廣によるビジネス書で、2016年に刊行されています。

 

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

 

 

著者は芸人としての活動の他に、絵本作家、校長先生、企業の顧問を務めたり、『レターポット』という有料のコミュニケーションサービスを立ち上げたりして、非常にマルチに活躍しています。

SNSクラウドファンディング、オンラインサロンなどを有効に活用し、インフルエンサーとしての地位を不動のものとしています。大きな企業に勤めるのではなく、現代的なツールを使って何か新しいことをやりたいという若い人たちにとっては、憧れのまとなのではないでしょうか。

 

そんな著者ですが、ちょっと前までは逆風が吹きまくっていたように記憶しています。

「番組のひな壇に出るのをやめる」

「テレビのCMには出ない」

「絵本をネット上で無料公開する」

などの発言、行動に対して、「何様だ」とか「クリエイターが食えなくなる」とか非難轟々でした。

 

それに対して、本書や、2018年刊行の続編『革命のファンファーレ』を読むと、問題視された発言や行動の経緯や意図が丁寧に説明されています。

  

革命のファンファーレ 現代のお金と広告

革命のファンファーレ 現代のお金と広告

 

 

後付けの部分もなくはないかもしれませんが、一応筋の通った著者なりの意図があったことがわかります。

 

私がここで改めてもう一度、繰り返し繰り返し怖いなと思うのは、やはりメディアの情報の伝え方です。

一連の文脈の一部、もしくは表層だけを切り取って、キャッチーなものに仕立て上げる。その結果、たとえ意図が真逆の方向に伝わったとしても関知しない。そこに悪意が存在することだって、例外的だとしても、なくはない。

現代において何かを広く発信しようという人は、自分の意図がネガティブに編集される可能性にも目を配りながら進まなくてはいけないのですね…。

 

もっとも、著者は実に強靭なメンタルと絶妙のバランス感覚を持っているのでしょう。様々な逆風も、ドラゴンボール魔人ブウの様に吸収し、その勢いを使ってステージを何段か上がった様に見受けられました。炎上商法とまでは言いませんが、この辺りはとても現代的な展開だなと思わずにはいられません。

非常に興味深く、参考になる一冊でした。

 

(文・近藤慎太郎)

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」

 

『限りなく完璧に近い人々』 マイケル・ブース (書評・近藤慎太郎)

この本,非常に面白かったです。

 

限りなく完璧に近い人々 なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?

限りなく完璧に近い人々 なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか?

 

 

著者はイギリス人のトラベルジャーナリスト,フードジャーナリストです。

家族で日本を旅行しながら、著者独自の感性で全国各地の美味しいものを食べ歩いた記録『英国一家、日本を食べる』が日本でもベストセラーになったので、ご存知の方も多いと思います。

 

英国一家、日本を食べる 上 (角川文庫)

英国一家、日本を食べる 上 (角川文庫)

 

 

今回、著者がターゲットとして選んだ国は、『北欧』。

本書ではデンマークノルウェーフィンランドスウェーデンアイスランドを加えた5カ国を対象としています。

いずれも、様々な社会学的な調査で高い評価を得ている国ばかりです。

充実した社会保障制度、公共サービス、男女平等、教育、幸福度・・・などなどで上位を独占する事もあります。

少子高齢化を迎える日本も、北欧に習って様々な政策を進めるべきなのではないかと言われています。

 

しかし、これらの国々は本当にそんなに素晴らしいのか?

国民は心から満足しているのか?

重い税制についてはどう考えているのか?

そこに自己欺瞞は無いのか?

 

著者が各国へ赴き、時には住み、様々な人にインタビューしながら、その知性とイギリス人らしいひねくれたユーモアで、ぶった斬っています。

 

乱暴な言い方をすると、北欧というのは「似たような国の集まり」というイメージがあると思います。

しかし本書を読むと、確かに非常に強固な共通点があるのは間違いありませんが、やはりそれぞれに明確な個性があることが分かります。

宗主国だったスウェーデン、それをライバル視するデンマーク、きわめて深刻な経済危機を起したアイスランド、莫大な量の石油を掘り当てて潤沢な資産を持つノルウェー、マッチョ思想が根強いフィンランド・・・。

更には、お互いの国に対して、歴史的な背景に根差した非常に複雑な愛憎、偏見、嫉妬などが渦巻いていることも分かります。

 

その一方で、共通点をごくごく簡単に総括してしまえば、北欧を北欧たらしめているのは、

バイキング時代にまでさかのぼる平等主義と同調圧力

自慢や野心を恥ずべきこととし、自分のおかれた立場に感謝、満足するという国民性、

そして自分以外の大多数の人々も同じような価値観を持っているという同質性、

といえるでしょう。

そしてそれがウラハラにも、現在の北欧の様々な問題点の原因ともなっています。

つまり、行き過ぎた同調圧力、社会的な閉塞感が自殺者や向精神薬の処方数の多さにつながり、

アメリカを始めとする新自由主義の世界的潮流が社会的な格差を増大させ、

移民問題が同質性を損ない始めているのです。

北欧はほころび始めていると本書は警鐘を鳴らします。

それらを乗り越え、今後も北欧は北欧らしくあり続けることができるのでしょうか?

 

北欧の行く末は日本にとっても他人事ではありません。

本書を読んでつくづく思ったのは、もちろん歴史的な経緯など相違点も沢山ありますが、それを差し引いてもやっぱり無視できないほどの、北欧の人々と日本人の共通点の多さでした。

ほころび始めているという点でも同様でしょう。

お互いがお互いから学ぶべき点は多々あると感じました。

 

(文・近藤慎太郎)

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」

 

『蜜蜂と遠雷』 恩田陸 (書評・近藤慎太郎)

以前、本ブログで森絵都の『みかづき』を取り上げました。

 

 

読了後、なんて素晴らしい作品なんだと感銘を受けました。

スケールの大きさ。

明確に、そして深く書き分けられた登場人物たち。

起承転結と静かな感動。

特に文句の付け所のない大作で、本作品は2017年度の本屋大賞の2位になっています。

「これで1位じゃないんだ…。じゃあ1位はどんだけ傑作なんだ?」と思って手に取ったのが、2017年度本屋大賞1位で、今回取り上げる『蜜蜂と遠雷』です。

  

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

 

本作をごく簡単に言えば、ピアノコンクールに集まった若い音楽家たちの葛藤と成長を描いた物語です。

主な登場人物はこの4人です。

 

風間塵(15歳):養蜂家の父と一緒に世界を転々としながらピアノを弾く少年。偉大な世界的音楽家にごくプライベートに指導されていたのでまったくの無名だが、天才的な素質を持っている。

栄伝亜夜(20歳):かつては天才少女と呼ばれ、CDデビューやコンサート活動も行っていたが、母の死去以来ピアノを引く目的を見出せなくなってしまい、音楽活動から遠ざかっていた。

マサル・C・レヴィ=アナトール(19歳):ジュリアード音楽院出身で、天才的な音楽センスと技術に加え、完璧なルックスを持っている。

高島明石(28歳):サラリーマン勤務のかたわらコツコツとピアノを弾き続けた苦労人。

 

いかがでしょうか?

「天才多いな…」と思いますよね。(笑)

4人目のキャラクターがいなかったら、物語に締まりがなくなっていたでしょう。

ただ、基本的には上記の天才3人にフォーカスが当たって物語は展開していきます。

毒のある人物はおらず、対立や苦悩もほとんどありません。「なんだか少女漫画みたいな設定だな」と思います(それも偏見かもしれませんが)。

みかづき』の方が好みだな…と思いながら読み進めていましたが、途中から大変な勘違いをしていることに気が付きました。

 

以前取り上げた『BLUE GIANT』も同様ですが、本作品も音楽がテーマなのに音が聞こえないという宿命を背負っています。

 

 

本作品が凄いのは、さらにキャラクターごとに、描写だけで音色を書き分けるという離れわざに挑戦していることです。私を含めて、読者の中にはクラシックの素養がない人もたくさんいると思いますが、そういう人たちにもある程度の説得力を持って描写していく力量には舌を巻きます。魔術的と言ってもいいです。

しかも予選が一次から始まって、二次、三次、そして本選と4回も同じようなセッティングで延々と書き分けていくのです。

つまりこの作品は、作者が自ら何重にも張り巡らしたハードルを、飛び越えて見せようとした、超弩級の実験的、野心的な作品なのです。

さすがに本選では多少の息切れ感があり、書き急いでいるように見受けられます(作者もどこかのインタビューで、連載が終わった時に、もう書かなくていいんだとホッとしたという趣旨の発言をしています)。

しかもこんなに特殊な作品が、本屋大賞1位という最大公約数的な評価にふさわしいのかどうかは私には分かりません。

しかし、これだけ困難な制約の中で、きちんとエンターテイメントとして成立せしめた作者の才能に、心からの賞賛を送りたいと思います。

 

(文・近藤慎太郎)

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」

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