『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』 湯浅 誠 (書評・近藤慎太郎)

私がこのブログを通じて伝えたいメッセージをごく簡単に言えば、「健康を守るためには自分自身が能動的に関わる必要がある」ということです。

 

市区町村などを主体としたいわゆる「健診」を受けるだけでは心許なく、自分自身の疾患リスクを最小限にするためには、健診を主体としつつも、人間ドックなどの項目を「健診の不足分を補うように賢く活用」して行くことが大切だと考えています。

 

ただし、誤解がないように強調しておきたいのですが、私は決して「健診が役に立たない」と言っているわけではありません。健診はいわば「最低限、必要な基礎」なのです。たとえバリウム検査や便潜血検査が十分ではなかったとしても、受けることによってリスクをある程度は下げることができるのですから、捨て去る必要はまったくありません。

 

特に、人間ドックなどを活用する場合に多少の出費が必要になってしまうので、その点に関して抵抗感がある方もいらっしゃるでしょう。

 

そしてさらには、生活するだけで精一杯で、「長期的な健康を保持する」という、目に見えにくい目的に対してのプラスアルファの出費など考えられない、という方もいらっしゃるかもしれません。

 

近年、日本の貧困層が拡大していることが大きな社会問題となっています。

そういう方たちの健康をどう担保して行くのかと言うことも、避けることができない大事な問題です(とりあえずは、健診だけでもしっかり受け続けていただきたいと思います)。

 

貧困層の拡大については、

「企業の国際的な競争力を確保するために法人税が引き下げられ、非正規雇用、つまり雇用の不安定な層が拡大した。法人税引き下げを相殺するために社会保障は縮小され、状況がさらに悪化した。」

という説明がなされることが多いと思います。

その検証には私では力不足ですが、一定の説得力があることは確かです。

 

いずれにせよ貧困問題は現実のものとなっています。

 

前置きが長くなってしまいましたが、本書『反貧困』は、貧困層拡大の経緯と現状を整理し、私たちが理解を深めてどのように行動していくべきなのか、問題提起を行なっています。

 

著者、湯浅誠氏は1969年生まれの社会活動家で、ホームレスなど貧困状態にある人たちのサポートを続けてきました。

 

2008年の年末に設置された、『年越し派遣村』の村長としても有名です。

本書は、そのような最前線で向き合ってきた人だけが書ける、説得力に満ちたレポートになっています。

  

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

 

 

貧困問題を語る際には、必ず「自己責任論」がつきまといます。

つまり、貧困状態に陥ったのは、当人の努力が足りなかったからだ、将来への見通しが甘かったからだ、と言うものです。

確かにそう言う面も否定はできません。

ただし著者はこう指摘します。

 

貧困とは、選択肢が奪われていき、自由な選択ができなくなる状態だからだ。p74

 

自己責任論とは「他の選択肢を等しく選べたはず」という前提で成り立つ議論である。他方、貧困とは「他の選択肢を等しく選べない」p82

 

確かにそうなのかもしれません。

たとえば学生時代に、勉強でも、スポーツでも、音楽でもどんな分野でも構いませんが、その分野でどんどん成長していく人がみなさんの周りにもいたと思います。

 

その人たちは、なんでそんなことが可能だったのでしょうか?

それは、逆説的な言い方になりますが、それが可能だったからでしょう。

つまり、実際に周囲の人より勉強ができたり、スポーツが上手かったり、音楽的なセンスがあったりしたからこそ、成長していけたのでしょう。

 

努力をすれば結果に繋がるという実感が当人にあるからこそ努力ができる、という側面も確かにあります。いわば努力を可能にする取っ掛かりがあるのです。

しかし、みんながみんな何かそのような取っ掛かりに出会えるとは限りません。

 

また、親など周囲の環境が整っていることも重要な要素です。

何かに集中するためには周囲のサポートが必要ですし、たとえ取っ掛かりがなかったとしても、周囲に持ち上げてもらえば、自分なりのポジションを見つけることができやすくなっているはずです。

 

親に金銭的な余裕がなければ、教育に十分なお金が掛けられないかもしれません。親が忙しくて将来的な相談ができないかもしれません。アルバイトをして家計を助けなくてはいけないかもしれないし、もっとひどい場合はネグレクトや虐待だってありえるでしょう。

 

そんな孤立無援の状態でも、自分だったら必ず這い上がって行けると自信を持って言えるでしょうか?

実際に、企業の経営者などにそういう方がいるのは承知していますが、それはあくまでレアケースであって、大半の方は難しいのではないでしょうか。少なくとも私はまったく自信がありません。

 

それを考えれば、貧困状態に陥った方を一括りに自己責任なのだと言うことは難しいと思います。

 

また、本書はさらに重大な指摘をしています。

 

日本のもろもろの低所得者向けサービスも、生活保護基準を基点に定められている。p188

 

それゆえ、最低生活費の切下げは、生活保護受給者の所得を減らすだけには止まらない。生活保護基準と連動する諸制度の利用資格要件をも同時に引き下げるため、生活保護を受けていない人たちにも多大な影響を及ぼす。p189

 

特に最近は、生活保護費の不正受給がさかんに報道され、あたかも生活保護受給者へのネガティブキャンペーンの様相を見せています。

そういった報道に、わたしたちの意識が誘導されている可能性はないでしょうか?

生活保護基準を厳しくすることよりも、非正規雇用者の環境改善や最低賃金の引き上げの方が意義のあることなのではないでしょうか?

もちろんお金の問題は残りますが、企業の内部留保の多さが問題視されている現状において、本当にお金が適切な場所に流れているのかといった問題意識は、常に持ち続ける必要があると思います。

 

最後に、本書は、わたしたちに強いメッセージを送ります。

 

貧困が大量に生み出される社会は弱い。どれだけ大規模な軍事力を持っていようとも、どれだけ高いGDPを誇っていようとも、決定的に弱い。そのような社会では、人間が人間らしく再生産されていかないからである。誰も、弱い者イジメをする子どもを「強い子」とは思わないだろう。p209

 

色々反論はあるかもしれませんが、とても立派な本だと思います。興味のある方はご一読を。

 

(文・近藤慎太郎)

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」