「メメント・モリ」
著者は東京芸大中退後にインドなどアジア各地を長期間放浪し、写真と文章が渾然一体となった作品を生み出し続けてきました。
本作品は代表作の一つであって、旧編から新編への移行はありましたが、1983年の刊行からずっと読み継がれてきたロングセラーです。
ガンジス河のほとりで、沖縄の名もない場所で、生と死が交錯する一瞬を切り取った写真に短い文章が添えられています。
収められている写真はとても「雄弁」です。ガンジス河に放置される遺体、荼毘にふされる遺体、犬に喰われる遺体…。「死」がそのままの形で提示されています。
しかもそれらは決して特別なものではなく、その場所においてはありふれた、あくまで日常の延長として捉えられています。
さらには娼婦の写真からも、咲き誇る花の写真からも、やはり日常にひそむ死の予兆を感じます。
作者の意図は序文に込められています。
「いのち、が見えない。(中略)死ぬことも見えない。いつどこでだれがなぜどのように死んだのか、そして、生や死の本来の姿はなにか。今のあべこべ社会は、生も死もそれが本物であればあるだけ、人々の目の前から連れ去られ、消える。」
そして、中程にはこんなメッセージが。
「死とは、死を賭して周りの者を導く、人生最後の授業。」
確かに現代人にとって、死は最大のタブーとして厳重に秘匿されています。
死は畳の上で家族に見守られて…ではなく、病院の個室で人目を避けて迎えるものになっているのです。
死とはどういうことか、死ぬ時人間はどうなるのか、誰も教えてはくれないし、巧妙に隠されている以上、考えるきっかけもほとんどありません。受け皿になるべき宗教観も曖昧です。
もちろん死は誰にとっても畏怖の対象であるので、日々の生活からできるだけ遠ざけておきたいというのは自然な心理です。
でもそこで目を逸らし続けて、気を紛らわせるためのコンテンツで溢れる清潔な世界を作ったとしても、それが結局のところ虚構でしかないと感じる瞬間がいつか来るのかもしれません。
著者はそんな現代人にメッセージを投げ続けます。
「メメント・モリ、死を想え」と。
なぜなら生と死は一続きのものだから。
そこがゴールなのだから。
そのために生が輝くのだから。
「死を想う」。
突き詰めて言えば、これが現代に生きる私たちにとって一番大事なキーなのではないでしょうか。
これは決してネガティブなことではありません。人生を彩らせるために、死という最下点から立脚した、実はもっともポジティブな人生訓なのだと私は思います。