『職業としての小説家』 村上春樹 (書評・近藤慎太郎)

前回書評をした、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』では、「走ること」の意味について書かれていました。

 

 

本作では、小説家の本分である「執筆」について書かれています。

著者の場合、前回も解説したように,走ることと小説を書くことが分かちがたく結びついているので、本作は前作と対(つい)の関係にあると言えます。

  

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

  

本作では、著者が小説家になるに至った経緯(ここが面白い)や、小説家を目指す人へのアドバイスが書かれています。

ただし後者については、著者の理路や哲学を効率的に説明するために、便宜的にそういう体裁になっているというだけで、本気で心構えやテクニカルなことが書かれているわけではありません。もちろん、それでいいと思います。村上春樹のように特別な才能があって、孤高のポジションを占めている人に、小説の書き方を教えてもらったところで、おそらく私たち一般人には役に立たないでしょうから(笑)。

 

そして本作でも、走ることについて多少言及されています。やはり、分かちがたく結びついているからです。

 

(小説を書くためには)「継続的な作業を可能にするだけの持続力がどうしても必要になってきます。それでは持続力を身につけるためにはどうすればいいのか?それに対する僕の答えはただひとつ、とてもシンプルなものですー基礎体力を身につけること。逞しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の身体を味方につけること。」(p185)

 

「心はできるだけ強靭でなくてはならないし、長い期間にわたってその心の強靭さを維持するためには、その容れ物である体力を増強し、管理維持することが不可欠になります。」(p194)

 

「肉体をたゆまず前に進める努力をすることなく、意志だけを、あるいは魂だけを前向きに強固に保つことは、僕に言わせれば、現実的にほとんど不可能です。(中略) 傾向がどちらかひとつに偏れば、人は遅かれ早かれいつか必ず、逆の側からの報復(あるいは揺り戻し)を受けることになります。(中略) フィジカルな力とスピリチュアルな力は、いわば車の両輪なのです。」(p204)

 

こういった記述は前作も含めて繰り返しでてきており、哲学として徹底している、という印象です。

極端に言えば、これが事実でなくてもいいのでしょう。どんなことであれ信じている哲学があって、それを自分が間断のない努力によって実践している、実現していると言う「手ごたえ」が、何より大切なのだと思います。

 

また本作には、著者が作品を発表するたびに着実に読者を増やしてきた一方で、一部の批評家や編集者からは散々な評価を受けてきたことが繰り返し書かれています。

著者は自分自身のスタイルや、オリジナルであるということを非常に大切にしているので、理解されないことも多かったようです。

 

「多くの人々は自分に理解できないものを本能的に憎む。」(p97)

 

と述べています。

おそらくそういった経験が、著者を内省させつつも、いっそ理解しない人は相手にしないと割り切らせ、作品を純化させるための原動力となっていったのでしょう。ぶれることのない哲学や、逆風を受けながらも自分を信じて獲得してきたものへの誇りのようなものを、本作のいたるところで感じることが出来ます。

 

オリジナリティについては、幻冬舎見城徹社長の新刊に面白い記載があります。数ページ、村上春樹のことが言及されているのです。

  

読書という荒野 (NewsPicks Book)

読書という荒野 (NewsPicks Book)

 

 

 見城氏は、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を読んで鮮烈な印象を受け、ぜひ一緒に仕事をしたいと思って会ったそうです。そこで、「『風の歌を聴け』にはジョージ・ルーカス出世作アメリカン・グラフィティ』と通底するものがある。それを考えれば、小説の舞台として神戸を選んだのは正解だった。」という趣旨のことを、自分が作品を読み込んでいる、理解していることを示して村上春樹を「喜ばせよう」として言ったそうです。しかし、そのことを村上春樹は喜ばず、その後も仕事をする機会は失われたそうです。

どこまで正確なのかはさておき、非常に興味深いエピソードです。見城氏の指摘は、オリジナリティを大切にする著者にとってはまったくの見当違いだったのかもしれないし、多少なりとも痛いところを突かれたのかもしれません。ただ、その当時でもすでに相当有名であっただろう見城氏と仕事はしないと決めたのでしょう。そこに、たとえどんなに遠回りになろうとも、自分の納得の行くやり方をつらぬくと言う著者の強い意志を感じます。

 

村上春樹について思う時、私の場合、どうしても野球選手のイチローとイメージが重なってきます。

世界の最高峰で長年にわたって活躍し続けるためには、才能はもちろんのこと、それを間断なく、自分のやり方で、徹底的に磨き続ける事が必要なのでしょう。その厳然たる事実は、ため息まじりの羨望とともに見つめるしかないのですが、私たちも、私たちなりのスケールで、同じことをやれる可能性は残されている、とも思います。

 

(文・近藤慎太郎)

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