人間というのは、放っておくと何事も探究し続けるという特徴があるようです。
世界を調べつくして、海を調べつくして、宇宙も調べつくそうとする。
石炭を発明し、石油を発明し、原子力を発明する。
手紙を発明し、電話を発明し、インターネットを発明する。
お金を発明し、クレジットカードを発明し、仮想通貨を発明する…。
例をあげれば枚挙にいとまがありませんが、人間というのは一つの分野を進歩させなければ気が済まないのです。
医療も同様です。
原初の段階では祈祷なんかをしていたと思いますが、薬が発明され、手術が生まれ、腹腔鏡などの機器が発達し…最近ではロボット手術なんかも登場しました。
専門分化も進む一方です。同じ消化器科ではあっても、胃や大腸などの消化管専門であって肝臓は分からないとか、いやいや私はとにかく胃の治療の専門家であって、大腸はまったく診ていないんですよ…なんて言うケースも十分あり得ます。「専門バカ」なんて言葉もありますが、一人の人間が学べる知識や会得できる技術には限りがあるので、このような状況になってしまうことは、ある意味致し方ないことだとも言えます。
しかも、ある分野の「スペシャリスト」であるという事は、何かを成し遂げたという自己肯定感にもつながるし、よほどニッチな分野でない限り、自分の活躍する場所を見つけやすいという点でも有利に働きます。
ただし患者さんはあくまで一人の人間であり、一つの病気が色々な臓器に症状を起こすこともあるし、治療によって専門外の臓器に合併症が起きることもあります。こういったケースではどうすればいいでしょうか?
「私には分かりません」と言うわけにはいかない…というか別に言ってもいいのですが、その場合は、しかるべき専門家にコンサルトして共同で治療にあたる必要があります。
都会で、ある程度の規模と人員が揃った総合病院であれば、それも許されるでしょう。これは専門外は分からない、分かったふりはしないという真摯な態度の表れ(?)という面もあるし、医療ミスを起こさないようにリスクヘッジする、という面もあります(ことによると後者の方が大きいかもしれませんが)。
しかしこれは大きな総合病院だから成り立つことであって、むしろ幸福な例外です。地方に行けばおのずと病院の規模も小さくなり、各科が揃っていないという所だって実はいくらでもあるのです。そういった状況で、スペシャリストとしてあまりにも自分の専門性を振りかざせば、周囲と協調してうまく患者さんを診ていくことは難しくなってしまうでしょう。さらには、周囲には病院がなく、最前線の診療所で多様な症状を持った患者を、的確に診断、治療、そして必要があれば転院させなくてはいけないという立場の人もたくさんいます。
この場合は、スペシャリストのように狭く浅くではなく、広く浅く(もちろん、できれば深く)分野をカバーしているという人材、つまり「ジェネラリスト」の方が有用性が高くなることがあります。
医療の進歩、細分化とともに、数多くのスペシャリストが生まれるようになりました。その傾向自体は止めようもないと思いますが、医療全体を俯瞰することができる人材が極端に少なくなっています。それに対する反省や問題意識から、スペシャリストへのアンチテーゼとして、ジェネラリストの存在が脚光を浴びるようになってきているのです。
すみません、書評にたどり着きませんでした(笑)。次回に続きます。
(文・近藤慎太郎)

がんで助かる人、助からない人 専門医がどうしても伝えたかった「分かれ目」
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