『走ることについて語るときに僕の語ること』 村上春樹 (書評・近藤慎太郎)

 みなさんご存知、作家の村上春樹が、走ることについて語った本です。

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

 

 

私は著者の小説が大好きで、長編はもとより、短編も含めて95%以上読んでいます。少なくとも書籍になったものはほぼ網羅していると思います。

著者の小説は強いメッセージを含んでいるわけではない(少なくとも分かりやすく提示されてはいない)し、物語の求心力になっている謎が解けないまま終わることがある(というか、ほとんどそう)なので、読み終わったときに自分の中に何が残っているのかと言われると、ほとんど何も残っていません。ただし、読んでいる間はとても面白いし、幸せだと言ってもいいほどです。おそらく、あまり強いメッセージを押し付けられると疲れてしまうだろうし、著者独特のファンタジックな世界を純粋に楽しむという事ができなくなるでしょう。「何も残らないからいい」という、非常に稀有な印象をもたらしてくれる作家です(私だけかもしれませんが)。

 

さて、著者がひとかどの長距離ランナーで、フル・マラソントライアスロンをやっていることを知っている人も多いと思います。本書を読むと、それが単なる趣味の領域ではなく、日々の生活や作家としての生き方に直結するぐらい重要なポジションを占めていることが分かります。

たとえばフル・マラソンを走るために、1年かけて入念に準備をしています。ほぼ毎日ジョギングをし、距離を稼ぐ時期には月に350キロ走ったりしています。凄いですよね。

 

著者は、

「小説を書くことは、フル・マラソンを走るのに似ている。」(p25)

と書いています。

毎日コツコツと走ってフル・マラソンを走る。毎日コツコツと小説を書いて、長編小説を完成させる。マラソンはエクササイズであると同時にメタファーでもある、と。

おそらくお互いが有機的に絡みあって、作家・村上春樹の日々のリズムを生み出しているのでしょう。それは、ストイックに自分を律してやっていると言うよりも、自分をもっとも望ましい状態に保つために、1番有効な方法を知っている、という感じです。

 

何十年にもわたって文学の最前線で活躍し、世界的ベストセラー作家に登りつめた村上春樹の秘密の一端を垣間見ることができます。

 

(文・近藤慎太郎)

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