著者の星野道夫は、26歳で単身アラスカに渡りました。
以後18年間そこで暮らし、人の手が入っていない過酷な自然と、そこに暮らす人々の営みを、端正な文章と雄弁な写真で描写しました。
そして1996年に、ロシアでキャンプ中にクマに襲われて亡くなっています。43歳でした。
ある時は白夜の中カリブーの大群を追い、
ある時は船でザトウクジラに遭遇し、
ある時はフェアバンクスの古本屋で昔の写真を眺めながら空想に浸り、
ある時は腕の良いブッシュ・パイロットの葬儀に参列し、
ある時は孤島に自然のままのトーテムポールを探しに行く。
本書を読んで伝わってくるのは、大いなる自然と隣り合わせで生きるということの危うさです。
大きな都市で安全に暮らしていると感覚が鈍磨してしまいますが、本書の舞台アラスカでは人間も自然の中で決して例外的な存在ではなく、時にかんたんに死へと呑み込まれていきます。
友人のパイロットたちの死もそうであるし、なにより作者自身も予期せぬ死を迎えているのです(本書の出版の後ではありますが)。
それがこちらに予備知識としてあるからか、読み進めながら、隣り合わせの死を予兆のように常に感じてしまいますが、なぜか陰惨なイメージは感じられません。
それはおそらく著者自身が、人間も自然のシステムの中にある無力な1ピースに過ぎないと皮膚感覚で感じており、それをむしろ肯定的に受け入れているからでないかと思います。
それが垣間見える、象徴的な挿話があります。
本書のタイトルにもなる、アラスカに伝わる物語です。
鳥についばまれたトウヒの木の種子が、アラスカの川沿いの森に根づき、大木へと成長する。
長い年月をかけてユーコン川がゆっくりと森を侵食し、トウヒの木も川へ流れ落ちていく。
海流が流木を遠いツンドラ地帯へとたどり着かせる。
木のないツンドラの世界で流木は一つのランドマークとなり、一匹のキツネが匂いをつけて自分のテリトリーとする。
そしてエスキモーは流木を薪として利用し、ストーブにくべる。
トウヒは燃え尽きるが、大気の中に混じって新たな旅が始まっていく…。
諦念と安息を感じさせるこの物語が著者の中に脈々と息づいているからこそ、何を見ても、何を経験しても、著者の目がキラキラと輝いていることが想像できるのです。
そして、巻末にある池澤夏樹氏の解説がすべてを語っています。
「幸福になるというのは人生の目的のはずなのに、実は幸福がどういうものか知らない人は多い。(中略)
実例をもって示す本、つまり幸福そのものを伝える本は少ない。(中略)
『旅をする木』で星野が書いたのは、結局のところ、ゆく先々で一つの風景の中に立って、あるいは誰かに会って、いかによい時間、満ち足りた時間を過ごしたかという報告である。
実際のはなし、この本にはそれ以外のことは書いていない。」p237
もちろん、作者自身はひけらかすような書き方は一切していません。ただ事実として、作者が経験して書き記している物事が、日々の営みに追われる私たちにとって、めくるめく夢のような経験にしか思えないのです。
「今となると、ぼくには旅をする気が星野と重なって見える。
彼という木は春の雪解けの洪水で根を洗われて倒れたが、その幹は川から海へくだり、遠く流れて氷雪の海岸に漂着した。言ってみればぼくたちは、星野の写真にマーキングすることで広い世界の中で自分の位置を確定して安心するキツネである。
彼の体験と幸福感を燃やして暖を取るエスキモーである。それがこの本の本当の意味だろう。」p241
本当にそんな感じです。まるで神話のようです。
ちょっと立ち止まりたいとき、なんとなく日々がしっくりしないときに手に取っていただきたい1冊です。
(文・近藤慎太郎)

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